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我々の甲子園

 投稿者:穴水恒雄(代宮川)  投稿日:2013年 6月26日(水)13時09分14秒
  通報 返信・引用 編集済
  最初の文は、二回生穴水恒雄氏が兄孝雄氏に当てたものですが、そこから始めます。

 別紙を投稿用に作りました。
 小崎勇二(大阪高槻市在住)に連絡の必要があればご一報ください。
  なお21回生ホームページ集については、「昭和22年春の先生達の記念写真」の人定、あるいは軍学徒の復学・入学事情(この件については個人的にですが、以前詳細を調べたことがあります)さらには、昭和18年10月21日神宮外苑競技場での雨の「学徒出陣」見送りに六中生
は参加したのかどうか(近隣の中等学校男女の参加事実あり)、同じ競技場で同年11月7日に行われた「第14回明治神宮国民錬成大会」へ参加した六中生は誰だったのか、(記録によると「都立六中の銃剣道戦闘訓練」が行われた)など、いろいろ、そのうちに。
 お元気で、また。



昭和21年7月15日(月)全国中等学校野球大会
  東京予選  対都立二中戦のこと

 上記についての「府立六中21回生ホームページ投稿集第三輯」所載の「我々の甲子園」を小崎勇二(出場メンバーの一人。当時3年生)に読んで貰いました。返信内容を以下に摘記します。

 対都立二中戦の場所は、下高井戸の日本大学予科のだだっ広い野原のようなグランドにネットを張り、ダイヤモンドの線を引いたいわゆる草野球のグラウンドでした。
 先輩は江田さん、椎名さん、貫直さんは覚えています。
 また記載された最終回幕切れの様子は記憶していません。
 それより小生としては、敗戦の責任は自分の記録に残らない失策によるものと、先輩には申し訳なかったと、その場面だけははっきり記憶していますので書いてみます。

 ゲームの後半12対12の同点の8回だと思います。小生ピッチャーをやっていました(先発か中継ぎかわかりません)
 ワンナウト2、3塁のピンチを背負っていました。
 打者に対し渾身のカーブを投げピッチャーゴロに打ち取りました。
 ホッと安心したのか、3塁走者(相手投手俊足犬飼)を見ずに且つ山なりの緩い球を一塁に送球しました。この隙を突かれ本塁突入をゆるしてしまいました。
 この一点が決勝点になってしまいました。
 今思うと不思議に勝った試合より、負けた試合の方をよく覚えているような気がします。

                      (以下略)
追記(穴水恒雄)
 ① このときの出場メンバー3年生4名のうち、島崎典彦(内野手)と高橋寿郎(左腕投手、一塁手、外野手も)の二人はすでに故人。瀧島幸雄(一塁手、後年のエース)は病身。元気なのは小崎勇二だけになってしまいました。
 ② この試合は12対13の乱戦で、高橋→小崎、或いは高橋→瀧島→小崎と交代?
 ③ この大会は戦後第一回の甲子園ですが、翌22年も全国中等学校野球大会でした。
     23年4月から新制高等学校が発足したのに伴って、名称を全国高等学校野球大会と改め、それが今日まで続いています。             以上
 
 
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